書く時に大切な心構え
発信をしているけど、文章がうまく書けない・・・
ブログを書きたいけど、書く気が起きない・・・
書くときにみんなは何を気をつけているの?
こんな悩みを抱えたことはありませんか?
IT化やスマートフォンを含めたデジタルデバイスを使う機会が増え、アナログで文字に触れることが少なくなった現在の社会では、文章を読める人が少なくなっているようです。
書籍『AI vs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)を執筆した同社会共有知研究センター長の新井紀子氏は、「文章を正しく読める人が少なくなっている」と警鐘を鳴らしています。
なぜ文章を読める人が少なくなったのでしょうか?
その一つの原因は、文章を書くこと自体が減っているからではないかと僕は感じています。
文章を読むためには、まず文章を自分で書き、感覚的にでも文章構造を頭に入れる必要があるからです。
どれだけ文章に親しんでいるか、練度が高いかどうかが、文章をいかに「よく読める」か、につながっているのではと思えてなりません。
なんてことを言っている僕も、学生時代、国語はすごく苦手で文章を正しく読むことはお世辞にも得意じゃありませんでした。
「筆者の言いたいことを答えよ」とか「この時の〇〇の心情を答えよ」なんて言われても「知らねえよ!!」って感じでしたし、長い問題文を見ただけでゲンナリしてテストに取り組む気にもなれないなんてことはザラでした。
そんな僕ですが、小説だけは昔から読むのが好きでした。
小学生中学年の頃は「マジック・ツリーハウス」と言うアメリカのペンシルバニア州を舞台にした連続短編小説を読んでいましたし、高学年になる頃には、「獣の奏者」のような500ページ超の「ハードブック」と呼ばれる本を何冊も読んでいました。
問題としてではなく、趣味として空想の世界に触れることは好きだったんです。
文字に触れたり言葉を探求したりと言うことを自然と継続していたおかげで、「文章」そのものに恐怖心を覚えることはなく、段々と、本当に少しずつではありますが、文章を書くことや読むことになれていきました。
一つ、質問です
日常生活の中で、あなたが、文章を書く機会はどのくらいあるでしょうか?
- 取り止めもなく書く日記
- 買い物などの簡単なメモ
- 会社の企画書
- ブログ、Web記事の執筆
- SNSでの発信活動
etc・・・
例えば上記のようなシチュエーションが思い浮かびます。
上2つの日記やメモなど短い文章を書く機会でしたら誰でも持っている可能性はあります。
企画書についても、会社に所属して働いている人なら1度は書いたことがある人が多いでしょう。
対称的に、下2つはどうでしょうか?
ライターや作家などの専門的な職業についているか、フリーランスや個人事業主、副業など、自分の看板を持って働いている人でない限りはなかなか長文や記事を書くことはありません。
前置きが長くなりましたが、これから何記事かにかけて「長文を書く」ということに焦点を置いて記事を書いていこうと思います。文字を書くことを専門にしている人だけではなく、世の中を生きているすべての人に読んでもらいたいです。
文章を書くと言うことはそれくらい大切でスケールの大きなことだと思うのです。
今回は、「記事を書く上での心構え」についての記事です。
ミニ連載の1記事目。ハリきってついてきてください!!
記事を書くのではなく、素材を集める
記事を書こうとすると、どうしても「長く書かないといけない」という意識になりがちです。
何文字書くかを決めているにせよいないにせよ、とにかく文章量を多くすればいいと考えてしまいます。
僕は大学4年生の時から、こうやって文章を書いて発信したり、提案したりということを続けて来ましたが、今の今まで満足に文章を書けたことがありません。
いや、謙遜とかそんなものではなく、心からそう思うのです。
その証拠に、この記事を公開するのは本当は2日前の予定でした。あれこれ理由をつけて、なんとか決心して今こうやって筆を取ることができています。実際は今も迷いながら書いているというのが現実です。
話が逸れてしまいましたね。少し戻します。
ほとんどの文字書きが「文章量」に注目していますが、何冊も本を読んでいるうちに興味深い考え方に出会いました。
それが上阪 徹さんの「超スピード文章術」という本の「素材を集める」という考え方です。
素材とは3種類に分けられる
- 独自の事実
- エピソード
- 数字
「構成の一部」としての「素材」
いままでも「素材」に言及したものを読んだことはあったのですが、本書はとても理解しやすく、また素材の扱い方の部分にまで踏み込んでいるので、すぐに使い始められる内容でした。
詳細は本を読んでいただきたいので詳しくは語りませんが、一言で言うと、「記事の内容を細かく分けて考える」と言うことです。
「素材」とは記事の「ネタ」であり、「構成の一部」とも捉えられます。
3000文字の記事、と考えるとちょっとストレスに感じるかもしれませんが、例えば3章構成 × 1000文字の素材と考えれば、少しストレスが軽減されるのではないでしょうか?
わかりやすいように1000文字ずつに分けましたが、3000文字の分割の仕方はさまざまな方法があります。
書き出し 1000文字
本論1000文字
まとめ1000文字
書き出し 500文字
本論 2000文字
まとめ1000文字
あるいは、もう少し細かくしてもいいかもしれません。
書き出し 500文字
本論1 1000文字
本論2 1000文字
まとめ500文字
書き出し 500文字
実体験 500文字
本論1 1000文字
本論2 500文字
まとめ500文字
この辺りは、書き手のスタイルや好みもあると思うので、完全に固定する必要はなく、書き続けながら調整していけばいいです。とはいえ、根本にある考え方は同じです。
「分け」て「書く」。
シンプルですが、めちゃくちゃ役にたつ考え方だと僕は確信しており、自分でも書きながら実験しています。
本記事の構成
ちなみに、本記事は以下の文字数で構成されています。
書き出し 1373文字
本論1 1282文字
本論2 + まとめ 900文字
ざっくりと3章構成 × 1200文字 にするつもりで執筆しました。
書き出しの文字数が少しオーバーしているのは、連載の最初ということで少し気合が入っていたからです(笑)
その分を本論2 + まとめで調整しています。
まあ、1000文字じゃなければいけないわけではないので、この辺りはご愛嬌で💦
少し、次回の予習
素材を集めて書くという文章の書き方には、「『何を書くか』をわかりやすくする」他にももう一つの効果があります。
「ささいな思いつきでも記事に昇華しやすくなる」ということです。
発信活動をしている人は、わかりやすいかもしれません。
ネタになりそうな「何か」を思いついたとしても、それをすぐに「記事」にすることは難しいです。
思いつきはあくまで思いつきであり、その先に考えられることや、思いつきを支える根拠を盛り込む必要があるからです。
家に例えると、内部のレイアウトや機能など革新的なものが思い浮かんだとしても、それを支えうる土台(土地)や屋根がしっかりしていないと、台無しになってしまいます。
なので、思いついてそのまま執筆という行動に移れるかと言われるとそうではないですし、ハードルを感じれば感じるほど書く気が起きなくなっていきます。
「ネタを考えても執筆につなげられない」というのは、
多くの発信者が挫折をする原因の一つなんです。
しかし、これは記事を文章のかたまりとして捉え、「長く書く」ことに捉われすぎているから起こることです。「素材」をベースに考えると、見え方が変わってきます。
どう見え方が変わるかは、次回の記事を楽しみにしていてください^^
まとめ
今回の記事は、僕が文章を書くうえで感銘を受けた1冊を引用して、「長文を書く」際の心構えについて話してきました。
何か気づきはあったでしょうか?
文章を書くうえで、正解となるものはありません。
書き手ごとにそれぞれのスタイルがありますし、あっていいものだと感じています。
しかしながら、何事にも「技術」というものはあり、知っているか否かで取り組む熱量も質も大きく変わってきます。文章を書いた先にある「文章を読む」ということにもつながってくることです。
ですので、さまざまな考え方を知って、自分の執筆に活かしていくことはとても大切なことだと思うのです。
本記事を読んでくれた方が、少しでも文章に向き合ってくださったら、これほど嬉しいことはありません。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
文章を書くということは、人間を知ること、自分を知ることにもなる。